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原初のキス

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カテゴリ:アレクサンダー・テクニーク( 2 )


2019年 08月 11日

本日ハッとしたこと

自分はしょっちゅう色々なことに驚いているのだが、今日非常に驚いたことがあった。午前中アレクサンダー・テクニーク関係の本を読んでいて、胸のあたりの構造の説明の所で、自分の肋骨に関するイメージが事実とは似ても似つかない、殆どコメディーというかホラーというかなものであったことに気づいたのである。

自分は肋骨に筋肉がついていることを完全に忘れていた。

その割に平気でスペアリブなんか食べてるところを見ると、頭ではわかっているんだけれども、いつのまにか心の中で、まぎれもないこの自分の肋骨が、肉には接しているもののスルスルとハダカの骨としてその上を勝手に動いている、あるいは近くの筋肉が親切にも作ってくれている浅いミゾ?の上を体の動きにつれて適当に滑走している、的な・・・そうしたイメージを持っていたのである。もしかしたらむしろ最初にそういう身体的な感覚があってこっち方面にイメージを増強してきたのかもしれない。

ところで、単に「イメージ」って言葉を聞くと、それは例えばアートなんかでは称揚されてるようなもののような気がする。でも私個人としてはイメージに対してはしかるべく注意を払いたい。それは勝手に暴走し、ありもしない現実(感)を作ることになりかねない。そうして結局そういうことは、アートにおいてもあまりいいことではないのではないかと思っているのである。


by zelan | 2019-08-11 22:04 | アレクサンダー・テクニーク
2019年 02月 21日

やる気雑感

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絵を創り始める時などやるぞーという気分が高まってなんだかリア充な感じがすることがあるものだ。
しかし最近思うのはこのやるぞっていう気分、本当に必要なのかということ・・。頭主導気分と体主導気分というものがあるとすればこれは明らかに前者であって、体からしてみたら単に少々あたふたして緊張が高まってるだけでもっと落ち着いてやってくれよという感じなのでは?

思い出すのはアレクサンダーテクニークという、心身両面から姿勢や動きの改善を図るシブい身体技法の創始者 F.M. アレクサンダーが、「宗教心も筋緊張の一種のパターンに過ぎない」という主旨のことを言ったことだ。やるぞーという気分に伴うリア充感、その背後にあるであろう筋肉及び心理面の昂ぶりは、作画に対して本当に完璧にワークしてるのかむしろちょっとした無駄なのか、考えたり感じたりしてみてもいいのではないかと自分は思っている。



by zelan | 2019-02-21 11:59 | アレクサンダー・テクニーク