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原初のキス

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2019年 08月 16日

中谷ミチコ 「 白昼のマスク / 夜を固める」@アートフロントギャラリー(代官山)

今さっき代官山のアートフロントギャラリーにて、中谷ミチコ 「 白昼のマスク / 夜を固める」展参観。
樹脂を使った作品で、通常現実では凸になってるイメージが凹になってるとこが面白い。
視覚体験として珍しいというだけではなく、なんだか網膜で物が逆に写ってることとか、脳という器官が不断に外界を認識し主体?に伝えてくるその機能やありさまなどについて強制的に思いを馳せさせられる(少なくとも自分はそうなった)、そういう感覚がいいのである。

と、いうようなことを、以下の解説を読む前に考えた。解説はこちら。



# by zelan | 2019-08-16 19:43 | 展示レビュー
2019年 08月 15日

音声入力雑感

最近自分は音声入力を利用するようになって、このブログも主には音声入力で作成している。
こっちの方が明らかに楽だ。タイピングする際の肉体的労作が声を発する時に比べ相対的に大きいからで、それが節約できるからである。

で、プロセスが異なろうとも結局記事ができるということは、人に伝えるコンテンツについてはいわゆるところの「書く」(という比較的大きな動作や外部ツール~PCとか紙とかペンとか~を伴った行為)よりも話すが前にあり、話すより考えるが前にあることだ・・・って当たり前じゃん!、と言わればそれまでだけど、音声入力っていう技術に自分が触れることによりそういう抽象思考をいきなりするようになるところが、面白いといえば面白い。

テクノロジーというのは我々の生活を変える。しかもただ生活を変えるだけではなく、我々の思考や気づきに影響するのである。


# by zelan | 2019-08-15 22:03 | 科学や技術について
2019年 08月 15日

ハクセキのキコウシの豊かさ

「白皙の貴公子」っていう言葉があって、最近ほとんど聞かないけどかつてある美術専門誌で自分の美術の先生であったところの北川健次氏のことをこう評してあるのを見て、この言葉、いいなあ、と思ったのである。意味は「色白の美男子」のことで、現代語で言っちゃうとなんだか何が面白いのかよくわかんなくなる。因みに皙という文字の意味もやはり白いという意味であり、重ねてあるわけですね。森鴎外がドイツに留学してた頃の日記を読んだ時にも今はもう全然使わなくなった言葉がたくさん出てきてかっこいいと思ったし、個人的にも例えば怜悧とか豪奢とか柔弱とか、最後のなんてもういい意味があるのかどうかも怪しいが、自分は好きである。

古くなったばかりではないとは思うがこれらの言葉にはそれこそ言葉にできない暗示的な広がりがある感じがする。今現在我々が使っている言葉で後世になってこの言葉は素敵だったって感じられるようなものがどれくらいあるかな、それは今現在を生きている自分たちにはわからないことかもしれないが。



# by zelan | 2019-08-15 21:40
2019年 08月 11日

本日ハッとしたこと

自分はしょっちゅう色々なことに驚いているのだが、今日非常に驚いたことがあった。午前中アレクサンダー・テクニーク関係の本を読んでいて、胸のあたりの構造の説明の所で、自分の肋骨に関するイメージが事実とは似ても似つかない、殆どコメディーというかホラーというかなものであったことに気づいたのである。

自分は肋骨に筋肉がついていることを完全に忘れていた。

その割に平気でスペアリブなんか食べてるところを見ると、頭ではわかっているんだけれども、いつのまにか心の中で、まぎれもないこの自分の肋骨が、肉には接しているもののスルスルとハダカの骨としてその上を勝手に動いている、あるいは近くの筋肉が親切にも作ってくれている浅いミゾ?の上を体の動きにつれて適当に滑走している、的な・・・そうしたイメージを持っていたのである。もしかしたらむしろ最初にそういう身体的な感覚があってこっち方面にイメージを増強してきたのかもしれない。

ところで、単に「イメージ」って言葉を聞くと、それは例えばアートなんかでは称揚されてるようなもののような気がする。でも私個人としてはイメージに対してはしかるべく注意を払いたい。それは勝手に暴走し、ありもしない現実(感)を作ることになりかねない。そうして結局そういうことは、アートにおいてもあまりいいことではないのではないかと思っているのである。


# by zelan | 2019-08-11 22:04 | アレクサンダー・テクニーク
2019年 08月 08日

あの人の処遇

まるっきし美術と関係ないことなんだがえらく気になっていることがある。それはジェームズ・ボンドの給料が一体いくらなのかということだ。というのは昨日たまたま BS を見たら、ダニエル・クレイグのカジノ・ロワイヤルをやっていて、色々な大変な目にあっている彼(っていう簡単なサマリーでいいのかな・・)がいくら給料をもらえばこれに見合うのかと思った次第。どう考えてもミニマム3000万以上じゃないと合わないと思うし、それにそもそも合う合わない以前にバシバシ人を撃ったりしなきゃいけないっていう意味においては自分は絶対やらないが(誰も私に頼みもしないことは確か)、そういう意味で彼の給料というのは一筋縄ではいかないくらいにめちゃ様々なメトリックスが絡んできて素人が類推するのは難しいと思った。

何が言いたかったのかわかんなくなってきたが、要は単にそれが気になったということを自分は表明している。そしてそれは上述のように一筋縄の論理的なものではうまく類推ができないからなのだ。人に何かを「気にさせよう」とすればよくわかんない状況に持っていくことが一つ重要であろう。と、いうことで最終的に無理矢理に美術に繋げるとすると、結局平面美術だったりすればいくら物理的にバカでっかくても長手が100メートル以上はないという少なくとも物理的にはかそけきものについて人に関心を持ってもらう必要があるならば、そこには何らかの脳が安定しない要素がないといけないと思うのである。ボンドの給料がナゾだから、昨日の夜テレビを見てから未だにつらつらと考えてるようにね。



# by zelan | 2019-08-08 22:36
2019年 07月 30日

思わず混乱しそうになるの巻

お腹が減ってから食べればいいのか否か問題の結論が出ないまま、また新しい問題が急浮上した。ToDoリストを書くべきか書かざるべきかということだ。

先日本屋で茂木健一郎氏の本を立ち読みしていて、ToDoリストは頭の中に置いておくべきだと書いてあったのである。そうするとなんか自分がやりたかったことに関連する現実に接した場合に、すぐその頭の中の項目が刺激されて出てくるので、そういうのが脳に良いとか人生にも有益だとか書いてあった気がする。

ところが自分が今までに読んできた脳関係だのタスク管理関係だのの本においてはおそらく大半が、ワーキングメモリーを無駄に充満させておかないためにToDoはなるべく細かく書き出しておくのが良いと書いてあった(もしかしたら茂木さんも・・・定かではないが)。

いきなり全然違うことを言われては個人的に困るのである。一方もし自分が、正直過剰に項目の多い ToDoリストを書かなくするとそれで1日あたり節約できる時間はもしかしたら20分位にはなりそうだ。めちゃ重要なことは絶対に忘れない、ととりあえず自分を信用すれば(コワ・・)、1日あたりに20分だから月あたりにして10時間ぐらい時間が節約できるのかもしれない。で、10時間てばほぼ一日分の実働時間が節約できる訳。

ん?この1日分の実働時間てどの程度に評価すればいいのかな。ToDoリストを書くのをやめることによる自分の不安・ストレス影響をさっぴくと、なんか大したことないような気がするのよね。
と、いうことで一瞬混乱しかけたが結論。便益がそれほどでもないようなのでToDo リストは書き続けます!



# by zelan | 2019-07-30 23:01 | ライフハック
2019年 07月 28日

日本ブックデザイン賞2019 入選

秋山孝ポスター美術館長岡主催、日本ブックデザイン賞2019にて入選致しました。
(ポスター部門:課題図書『山月記』中島敦)

入選作展覧会が10 月11 日(金)~17 日(木)、アオーレ長岡 西棟1階 市民交流ホールにて開催の予定です。

日本ブックデザイン賞2019


# by zelan | 2019-07-28 13:32 | 展示案内
2019年 07月 27日

秘すれば花

ギャラリー(コンテンポラリーギャラリーとして著名なとこが多い)などで時々、展示のほぼ全景が Web で紹介されている時があり、結構興味のある作家さんで行きたいなと思っていたのに妙に行く気が削がれてしまうということがある。
もちろん自分は、マチエールだの何だのがライブで見ない限り絶対にわからないことぐらいは知っている。実際の作品が素晴らしければ素晴らしい程、その「素晴らしさの根幹」だけは決して写真には写り込んでいないこともわかってはいるのだ。でもなんだか情報として事前に全部見せられると、電車賃までは気にしないまでも行って帰ってくる時間、即ちこちらサイドのコストなど、アートと全然関係ないような世俗的事柄が頭に上って結局行かない、みたいなことになってしまうことが少なからずある。

これは最近色々な業界の事業者がこと情報についてはgive, give, give!てな感じでメルマガなどでかなりのノウハウを提供し、それは大変ありがたいのだが結局彼らのモノやサービスを買うことがないという、少なくとも自分においては日常茶飯の現象になんだか少し似ている。

もとい、ギャラリーに関しては見に行く楽しみがちょっと削がれるのでもう少し控えめに写真など提示して頂いたら個人的には嬉しいという、そういうことだ。でも今突然思いついたが、実際に作品をほぼ確実に購入する人々というのはむしろ事前に全部見えているのがよくてそれで適確に狙って行くっていう構えなのかな。だとしたら、戦略として経営的にはむしろ正解なのかもしれないが。

だってもしそうでないとすると、なぜ全部見せちゃうのかが自分の頭脳では皆目わからない・・・。



# by zelan | 2019-07-27 22:07
2019年 07月 12日

考えと絵とスポーツ

何かの発想がうかび、その主題でものを考えていると3段階ぐらいまでは深まってるないいぞいいぞという感じになるが、でも4,5段目ぐらいとかその先まで考え続けているとなんかごちゃっとしてきてかえってわかんなくなってくることが多い。

絵のマチエール(質感)の説得性なんかもそうで少なくとも自分の使っている技法の場合経験的にほぼ3から4層で基本的には決まる。ところがそこで何か物足りなくて足したりすると逆に、それまでは存在していた簡潔性が全体として損なわれ、結局その付けたした層までを2層目ぐらいの存在にわざわざ捉え直して(捉え直すというのは例えば物理的には絵具やスプレーでつぶしたり)また改めてやってかなければいけないとなり・・、で、少なからぬ場合結局あんまりスパっとした状況にならないっていうことが多いんですね。

三段跳びって競技があると思うがあれは四段跳びとか五段跳びとかぢゃいけないんだろう、ということが、美術的体験としても納得なのであった。



# by zelan | 2019-07-12 22:18 | 制作心理
2019年 07月 12日

嘘っぽい

ちょっと前まで自分の中で流行っていた言葉はきっかけは忘れたが「リテラシー」だったが、最近では「嘘っぽい」だ。正直、何でもかんでも「嘘っぽい」かそうでないか、の二つに分類して密かに楽しんでいる。それでいくと、今の政権はかなり嘘っぽい。論拠を示せないでもないがやめておく。そもそもこれは論理というより感覚の問題だし、それに政権の個々の構成者や関わっている事案の全てが嘘っぽいと言ってるのではなくあくまで、総体としての印象についてのみ言っているのだから。

政権はともかく、美術作品だって嘘っぽいのとそうでないのがある。これは上手いとか下手とか、有名か無名かとかとは、本質的に関係がない。自分はささやかなり絵画と版画のコレクターでもあるが、嘘っぽいと自分が思うものを買うことはない。それは文化の破壊に長い目で見れば、微量なり(自分の場合超々微量)いくらか荷担することになるからである。


# by zelan | 2019-07-12 22:03