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原初のキス

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2019年 04月 24日

アートのフレームワーク

先日ふと、すべてのアート作品はコンサルさんなどもよく使う2軸4象限で位置付けると、新しいか古いか軸と強いか弱いか軸でMECEに分類できるという気がしたのである。技術的にうまいとか下手とか軸もあるんじゃないの、とか言われそうだが、それは結果として表現としての強さ弱さに包含されちゃうので問題ない(包含されるというか・・超絶技巧でもグっとこなけりゃあまり意味がない)。

新しくて強いというのが明らかに最高、古くて弱いっていうのが最低の位置づけ。中央周辺にはさほど新しくも古くもないし強くも弱くもないみたいなのがどっさりと位置するが、一方新しくて弱い作品とか古くても強い作品とかもあって、コンテンポラリーにおいては乱暴に言えば前者の方が分が良いと思う。

だからどうっていうこともないんだけれども、展示に行った際などそういう風に無理やり分類して作品を見てみると、結構エキサイティングなのではないか。つまりこれは、制作にも鑑賞にも使える視点なのだ。



# by zelan | 2019-04-24 11:13 | 芸術鑑賞
2019年 04月 22日

クリエイティブもマネジメント

絵を描くなどというとえらくクリエイティブなことをしているような印象を与えるものとは思うが、実は真にクリエイティブなところは一部にすぎない(例えば「構想」の部分とか)。支持体の下処理だの、自分の使い勝手のよいように絵具に混ぜる水分量を工夫するだの、明度(明るい暗い)の調整やら、構図だのなんだのだって、結局は技術を学びつつその実行を確実にすべく鍛錬してなるべくエラーレスにマネージできる状態に置いて淡々とやっていく訳だから、それはいわゆるところの「クリエイティブ」とは違う印象のはず。

え~と、だから何を言いたかったかと言えば、例えば美術制作といえ、かなりのところがマネジメントなのだから、マネジメント自体に重要性やおもしろみを感じるのでなければ、アートというコンテンツが仮に自分にとって面白くても、本当にそれをやってる人生そのものが面白くなるということにはならなさそう、ということ。
だから自分は、制作する人はマネジメントとクリエイティブ双方を、至極大切にしていく必要があると思っているのである。



# by zelan | 2019-04-22 22:43 | 美術について
2019年 04月 22日

美術に限らない

別段美術に限らず人生において重要なのは、いかなる事柄についてもそれを自分が「やるべきかやらざるべきか」、やるべきという事柄についてはいつ、最短の時間で(=最も効率的に)実行するかということにおいて正しく判断することにあると思える。
その際、まずやるべきかやらざるべきかというものを決める基準は、自分のヴィジョン、すなわち本心から成し遂げたいと思っていることに対し、合目的か否かということに尽きるかと思う。

と、言葉でいうのは簡単である一方、これを実際に楽々と実行できるようになるためには日々「鍛錬」することが必要なんだろう。結局なんだって「スキル」として磨く必要がある訳。

美術というものが人にとって原初的なものであると自分が考える理由というのは、そのあたりにある。美術は非常に純粋に、ヴィジョンに依拠しつつ鍛錬してそれを実現するスキルを磨くということに関係しているから。






# by zelan | 2019-04-22 22:12
2019年 04月 17日

ネガを見る

最近自分は、以前の3倍位ギャラリーや美術館に足を運んでいる。
ヒマな訳ではない(人からはそう見えるかもしれないが、自分は常に頭の中だけは誰にもひけをとらない程大忙しなのだ)。そうではなく、見に行く目的を「展示されているもの」を知ったり鑑賞したり参考にするために行く、から「展示されていないものも同時に見る」ことに変更したからである。

以前はポジ(展示されているもの)だけを実質見に行っていたので、(自分にとって)アタリとかハズレとかを主観的に決めてハズレてた場合は交通費と時間のロスが痛かった。しかしネガ(その作家・作品群が、プロセス・技法・表現やモチーフとしてやっていないこと、作家がまるっきし関心を持っていないこと)を見るようにするならば、ポジがハズレでも、ポジより大抵の場合領域が広大なネガが参考になることが多いことに気づいたのだ。

4月末日まで画廊「美の起原」にてグループ展に参加しています。
20日(土)12:00 - 18:00在廊予定です。
描いてないことも含め、ご高閲頂けますと幸いです。お目にかかれますのを楽しみにしております。


# by zelan | 2019-04-17 22:57 | 芸術鑑賞
2019年 04月 16日

銀座画廊 美の起原奨励賞受賞者展(4/17開始)等ご案内

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明日4月17日より、画廊「美の起原」にて、同画廊主催公募展において奨励賞を受賞した作家によるグループ展に参加します。


会期: 4月17日(水)~ 30日(火)

開廊時間: 12:00 – 18:00 (最終日は15時まで。日曜休廊。)

会場:美の起原 (銀座)


加えまして以下、活動のご案内にて失礼します。


■「初めてのコラージュ」講座 (目黒学園カルチャースクール)

切って貼るアート、コラージュについて目黒学園カルチャースクールに出講しております。

初めての制作から発表(個展・グループ展・公募展等)までの支援を行う連続講座です。

コラージュの歴史や鋏等道具の使い方、素材選びの着眼点、絵具を使った応用技法まで、オリジナルな作品を自身で制作・展開・発表していくための基礎を丁寧にご指導します。

現在4月期開講中ですが、体験参加・期中入会が随時可能ですので、ご興味のあります方はスクールまでお問合せください。


詳細はこちらです。

お申込/お問合せ先:目黒学園カルチャースクール 電話:03-6417-0031


■グループ展予定

高円寺のギャラリー ポルトリブレ デ・ノーヴォよりグループ展への参加招聘を頂きました。


概要は以下の通りです。


展示タイトル:『幻視の薔薇の咲く庭で、ふたたび』

会期: 9月13日(金)~ 23日(月)

開廊時間: 13:00 – 20:00 (最終日は17時まで。18日休廊。)

会場:ポルトリブレ デ・ノーヴォ (高円寺)


園芸家の夢である青い薔薇を遺伝子操作ならぬ作家のイメージで花開かせるという企画展です。







# by zelan | 2019-04-16 21:43 | 展示案内
2019年 04月 14日

失言と全体視

美術というものは原理的に、「全体視」や「客観視」という、人間にとってはなかなかハードルの高いことの実践を要請するものであると自分は思う。
だから鍛錬するのにかなり時間がかかったりもするし、また人に根本的には欠けているといっていい位のこれらのことに関わるという点で、チャレンジするかいがとても大きいものなのだ。

で、近頃、忖度や被災地についての発言に関連して政治家が次々と辞めるということが続き、この全体視のことを考えていたのである。
前後の発言を全体として見ると、自分が何派でだれそれさん命だとか、自分の過去の深刻な失言に言及して笑いをとったりとか、そもそもそういう話を本質的に政治家からは一切聞きたくはない。一から十までとは言わないまでも、哀しいかな一から九位までは、全然ダメ。有権者としては完全に無関係とも言えず、哀しさはいやまさる。

ところで以前勤めていた会社でデッサン演習というのがあって、なんと石膏像(ヴィーナス)を「ものを正しく見る」という訓練のために木炭で描く、ということをした。(当時の感覚では、ん~って感じだったけど、今だったら1000倍位楽しめるかも。)
「惜しい!他は完璧だけど、鼻だけちょっと低すぎますね」ということは厳密にはありえない。我々の存在というものは常に、かなり「全体」なんである。

ということは何を意味するのかと言えば、自分のなす一つ一つの事柄はやはり自分の「全体の一部」でありその一部は全体の鏡なのだから、心してやるべし、ということかしら。(失言を論じて結局自分へのハードルを上げたなり。)


# by zelan | 2019-04-14 20:58 | 社会について
2019年 04月 07日

当たらなかった

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AI が予測した新元号が外れたという話をTVで聞いて、嬉しいと言うのとも違うんだけど、然り、という感じはした。元号のように、「正解」がひとつでなく色々ありえて、でも相対的にいいとか悪いとか、人間の審美的感覚なども背景に言えるようなもの、それがバッチリAIに予測できたら逆に偶然ぽく感じたはず。

正解がないと言えばAIがレンブラント風の絵を描いたことがあって、これだって固定的な正解がある訳ではないのではないかと言えそうだが、絵画は明確に技術の集積なのでかなりのところ分析及び再現ができると感じるし、モチーフなどもデータ解析で傾向は把握できるはず。元号当てる方がAI君にはハードルがずっと高かったと思うのである。


# by zelan | 2019-04-07 15:28 | 科学や技術について
2019年 04月 06日

3000?

どの本だったか忘れたがコンサルティングに関するビジネス書を読んでいたら、問題解決だか事象分析だかのパターンが3000位あればコンサルとして一流になれる、みたいなことが書いてあった。
はなはだあいまいな記憶ながらこの「3000」という数字だけは、やたらはっきり覚えている。
なぜかというに絵を創ることなんかにおいても色んな問題が起こったり色んなことをやりたくなったりするが、やっぱり「3000」位のパターンがあればほぼどんな状況でも対応していけるんぢゃないかしら、と、感じるからである。

この3000という数字ってなんだか、例の1万時間の法則とも親和性がありそうな気がする。結局同じことを言っているのではないだろうか?



# by zelan | 2019-04-06 22:42
2019年 04月 05日

「感想」を確認に~「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟」@東京都庭園美術館

1950年代に集中的に制作したコラージュ作家、岡上淑子の展示に東京都庭園美術館へ。
実は二回目。さすがに同じ展示を二度見に行くのは稀だが、とても楽しみにしていた展示だったにも関わらずどういう訳か最初に見た時に「はっきりした感想」が思い浮かばず、なんだかもやもやしていたからである。

理由を考えながら見ていくと、ある程度はわかった。

1.コラージュのモチーフとして結構細かい物品が多く、目と脳が泳ぐ。
画面は小さいが具象物の情報量が多いため、頭の処理に対しオーバーフローした。
2.結局のところコラージュというのは「いわくいいがたし」が志向され組み立てられているのであって、「イメージ」としてはばっちりしっかりの強度があっても、言葉にしづらい。
(分析的に見るなら、時代背景とかフェミニズム的な視点とか言葉や思考でひもとく手がかりはありそうだが、そうした言説はちゃんと書いてあったので自分ではあまり改めて考えたり感じたりしなかった・・。)

途中でエルンストの素晴らしいコラージュ・ロマンのコーナーなんかもあって全体としていい展示だ。
1回目に一緒に行った、諸展示に安々とは高いお点を付けない知人も「おもしろい!」とご満悦だったし。

それにしてもコラージュという技法(の本質を用いた優れた作品)がいかに激しく「統合的なもの」であるかを改めて認識する。
コラージュにも様々な情緒や構想があるし、必ずしも全てとは言えないが、個々の素材間は限りなく遠く離して、最終的に一つの画面に展開するときには人の脳の統合作用を刺激してイメージを絵空事でなくむしろリアルにする。
言葉で言える範囲のためとても雑駁な例だが敢えてあげると、タキシードきた七面鳥みたいなえせ紳士って、いますよね・・。離してからくっつける、この移動距離が大きければ大きい程おもしろい。

コラージュは、分裂的で、超現実的なものと思われているかもしれないが実は真逆。
様々な芸術技法の中でもことさら、脳において賦活させる機能という点からは統合的であり、そのイメージはむしろいかに現実的であるかを競うているのだ。

4月7日まで。



# by zelan | 2019-04-05 11:29 | 展示レビュー
2019年 04月 03日

バギーでスマホ

自分は絵を描くのでまざまざと実感できるが、人間の感覚的リソースというのは一時にはそんなにマルチな事柄に振り向けられない。何か作業していてふと「この前あの人が言ったあの一言、むかっぱらが立つ~」と脳内焦点が一瞬シフトしただけで、もうこれは100%といっていい位に、ろくなことにはならないのだ。

という訳でこの前バギーに乗った赤ちゃんが真剣な顔でスマホを凝視しているのを見て自分は恐れをなした。
暑いとか寒いとか、空気がいいとか悪いとかの方が赤ちゃんにとっては重要でそれで泣いたり騒いだり笑ったりする方がいいのではないかと思ったからだ。スマホを見ていたら必ずやある種の「感覚遮断」に陥ってしまう・・。
でもスマホだのITだのはとっても便利だし、藤井X段(何段だか知らない・・)なんかが超絶強いのもITによる学びや研究が寄与しているらしい。

なので結局、「ま、ものは使いようよね・・・」という人類が道具を持った時点から既にずーっと変わっていないだろう結論に落ち着くのだが、しかしその、「ものは使いよう」という線を的確に実現するのが一番難しいのであって、ブッダも「中庸とは難しいものである」と言っている(はず、確かにどこかで聞いた気がする)。
自分の感覚では、中庸を極めようとすれば結局、感覚・知力を盛大に使って個々人において経験し、また見極めていくことになる。そういう意味ではここにいる私が今、そしてこれからどうITを使っていくかなど、殆どアートに近い。

そう、アートというのは特別のことでなく、生きることそのものがアートまみれなのだ。だから自分は(特に日本語においては)基本アートという言葉を使わず、制作行動の周りや展示をやったり見たり考えたりといったあたりのことどもについては、極力美術または芸術と言って、誰からも頼まれてないのに一人勝手にアートの領分を狭めているのである。



# by zelan | 2019-04-03 21:17 | 社会について