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原初のキス

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2019年 09月 14日

ピーマンと神棚 ~「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」@国立新美術館

90年代に「料理の鉄人」というTV番組があり、時々見ていたのだが、その中で自分の印象にひどく残っているのがピーマンが食材としてフィーチャーされた回であった。その時確か外国の料理人が、ピーマンのピューレというかスープ的なものを作り、確か(確かが多い・・)さる有名コピーライターの評者が、そのおいしさに対し、「ピーマンに生きる意味を与えた」という主旨のことを言ったのである(多分)。印象に残ったと言っている割に正確性が捨象されちゃってること、それとピーマン農家さんにも少し申し訳ない記憶だが、この「XXに生きる意味を与える」ということって、あるよね、と当時思ったことは確か。

国立新美術館の企画展「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」を見に行った。幅広い年代の複数の現代作家の作品展示で、自分がぐっと来たのは豊嶋康子氏のパートだった。木製パネルの裏返したやつにやはり木製パネルの足というかガワのようなものを様々に切ったりしてパズルのようにはめてあり、所々に板、板の上にビスなんかも打ってある、そうしたパネルが額ひも状のもので壁から斜めに浮かして取り付けてあったり、棚状にして神棚みたいに高い処の壁に貼ってあるのもあった。当然のことながら自分はそのパネルの足やら、翼を広げたような形の頭がついてるビスやら、通常はパネルの裏側に隠れて釘にかかってるだけのひもが、壁から斜めパネルを実現するにあたり表だって働いているのをしげしげと見る。これらは一種のパラレルワールドみたいなもので、普段非常に脇役というか単に機能を押しつけられてそれをこなしてるだけで雌伏?している物たちが急に出張ってアートしている(ていうかそういうものが出張ってることがアートの一要件を成してる)のが新鮮だった。自分がパネルの足だったらドヤ顔をしたい処だったろう。ピーマンが生きる意味を与えられたように。
言うまでもなくこれはあくまで個人的感想にすぎない。だって例によってキャプションや解説を殆ど読んでないし・・説明を読まずに書く展示感想文ジャンルを確立したい位だ。あれ、でもこれらの作品と文学とどう関係するんだろう・・解説を読まないで若干困るところはこういうとこ。

この展示、他には映像やインスタレーションが多い。それにしても年齢のせいもあるのか鑑賞に一定の時間を要する映像作品をゆったり味わう丁寧な心持ちが欠けてきた昨今、やっぱりパっと見てパっと頭が動き始めるもの、というジャンル及び作品の存在はありがたい。

国立新美術館にて、11月11日まで



by zelan | 2019-09-14 14:01 | 展示レビュー


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