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原初のキス

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2019年 04月 17日

ネガを見る

最近自分は、以前の3倍位ギャラリーや美術館に足を運んでいる。
ヒマな訳ではない(人からはそう見えるかもしれないが、自分は常に頭の中だけは誰にもひけをとらない程大忙しなのだ)。そうではなく、見に行く目的を「展示されているもの」を知ったり鑑賞したり参考にするために行く、から「展示されていないものも同時に見る」ことに変更したからである。

以前はポジ(展示されているもの)だけを実質見に行っていたので、(自分にとって)アタリとかハズレとかを主観的に決めてハズレてた場合は交通費と時間のロスが痛かった。しかしネガ(その作家・作品群が、プロセス・技法・表現やモチーフとしてやっていないこと、作家がまるっきし関心を持っていないこと)を見るようにするならば、ポジがハズレでも、ポジより大抵の場合領域が広大なネガが参考になることが多いことに気づいたのだ。

4月末日まで画廊「美の起原」にてグループ展に参加しています。
20日(土)12:00 - 18:00在廊予定です。
描いてないことも含め、ご高閲頂けますと幸いです。お目にかかれますのを楽しみにしております。


# by zelan | 2019-04-17 22:57 | 芸術鑑賞
2019年 04月 16日

銀座画廊 美の起原奨励賞受賞者展(4/17開始)等ご案内

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明日4月17日より、画廊「美の起原」にて、同画廊主催公募展において奨励賞を受賞した作家によるグループ展に参加します。


会期: 4月17日(水)~ 30日(火)

開廊時間: 12:00 – 18:00 (最終日は15時まで。日曜休廊。)

会場:美の起原 (銀座)


加えまして以下、活動のご案内にて失礼します。


■「初めてのコラージュ」講座 (目黒学園カルチャースクール)

切って貼るアート、コラージュについて目黒学園カルチャースクールに出講しております。

初めての制作から発表(個展・グループ展・公募展等)までの支援を行う連続講座です。

コラージュの歴史や鋏等道具の使い方、素材選びの着眼点、絵具を使った応用技法まで、オリジナルな作品を自身で制作・展開・発表していくための基礎を丁寧にご指導します。

現在4月期開講中ですが、体験参加・期中入会が随時可能ですので、ご興味のあります方はスクールまでお問合せください。


詳細はこちらです。

お申込/お問合せ先:目黒学園カルチャースクール 電話:03-6417-0031


■グループ展予定

高円寺のギャラリー ポルトリブレ デ・ノーヴォよりグループ展への参加招聘を頂きました。


概要は以下の通りです。


展示タイトル:『幻視の薔薇の咲く庭で、ふたたび』

会期: 9月13日(金)~ 23日(月)

開廊時間: 13:00 – 20:00 (最終日は17時まで。18日休廊。)

会場:ポルトリブレ デ・ノーヴォ (高円寺)


園芸家の夢である青い薔薇を遺伝子操作ならぬ作家のイメージで花開かせるという企画展です。







# by zelan | 2019-04-16 21:43 | 展示案内
2019年 04月 14日

失言と全体視

美術というものは原理的に、「全体視」や「客観視」という、人間にとってはなかなかハードルの高いことの実践を要請するものであると自分は思う。
だから鍛錬するのにかなり時間がかかったりもするし、また人に根本的には欠けているといっていい位のこれらのことに関わるという点で、チャレンジするかいがとても大きいものなのだ。

で、近頃、忖度や被災地についての発言に関連して政治家が次々と辞めるということが続き、この全体視のことを考えていたのである。
前後の発言を全体として見ると、自分が何派でだれそれさん命だとか、自分の過去の深刻な失言に言及して笑いをとったりとか、そもそもそういう話を本質的に政治家からは一切聞きたくはない。一から十までとは言わないまでも、哀しいかな一から九位までは、全然ダメ。有権者としては完全に無関係とも言えず、哀しさはいやまさる。

ところで以前勤めていた会社でデッサン演習というのがあって、なんと石膏像(ヴィーナス)を「ものを正しく見る」という訓練のために木炭で描く、ということをした。(当時の感覚では、ん~って感じだったけど、今だったら1000倍位楽しめるかも。)
「惜しい!他は完璧だけど、鼻だけちょっと低すぎますね」ということは厳密にはありえない。我々の存在というものは常に、かなり「全体」なんである。

ということは何を意味するのかと言えば、自分のなす一つ一つの事柄はやはり自分の「全体の一部」でありその一部は全体の鏡なのだから、心してやるべし、ということかしら。(失言を論じて結局自分へのハードルを上げたなり。)


# by zelan | 2019-04-14 20:58 | 社会について
2019年 04月 07日

当たらなかった

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AI が予測した新元号が外れたという話をTVで聞いて、嬉しいと言うのとも違うんだけど、然り、という感じはした。元号のように、「正解」がひとつでなく色々ありえて、でも相対的にいいとか悪いとか、人間の審美的感覚なども背景に言えるようなもの、それがバッチリAIに予測できたら逆に偶然ぽく感じたはず。

正解がないと言えばAIがレンブラント風の絵を描いたことがあって、これだって固定的な正解がある訳ではないのではないかと言えそうだが、絵画は明確に技術の集積なのでかなりのところ分析及び再現ができると感じるし、モチーフなどもデータ解析で傾向は把握できるはず。元号当てる方がAI君にはハードルがずっと高かったと思うのである。


# by zelan | 2019-04-07 15:28 | 科学や技術について
2019年 04月 06日

3000?

どの本だったか忘れたがコンサルティングに関するビジネス書を読んでいたら、問題解決だか事象分析だかのパターンが3000位あればコンサルとして一流になれる、みたいなことが書いてあった。
はなはだあいまいな記憶ながらこの「3000」という数字だけは、やたらはっきり覚えている。
なぜかというに絵を創ることなんかにおいても色んな問題が起こったり色んなことをやりたくなったりするが、やっぱり「3000」位のパターンがあればほぼどんな状況でも対応していけるんぢゃないかしら、と、感じるからである。

この3000という数字ってなんだか、例の1万時間の法則とも親和性がありそうな気がする。結局同じことを言っているのではないだろうか?



# by zelan | 2019-04-06 22:42
2019年 04月 05日

「感想」を確認に~「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟」@東京都庭園美術館

1950年代に集中的に制作したコラージュ作家、岡上淑子の展示に東京都庭園美術館へ。
実は二回目。さすがに同じ展示を二度見に行くのは稀だが、とても楽しみにしていた展示だったにも関わらずどういう訳か最初に見た時に「はっきりした感想」が思い浮かばず、なんだかもやもやしていたからである。

理由を考えながら見ていくと、ある程度はわかった。

1.コラージュのモチーフとして結構細かい物品が多く、目と脳が泳ぐ。
画面は小さいが具象物の情報量が多いため、頭の処理に対しオーバーフローした。
2.結局のところコラージュというのは「いわくいいがたし」が志向され組み立てられているのであって、「イメージ」としてはばっちりしっかりの強度があっても、言葉にしづらい。
(分析的に見るなら、時代背景とかフェミニズム的な視点とか言葉や思考でひもとく手がかりはありそうだが、そうした言説はちゃんと書いてあったので自分ではあまり改めて考えたり感じたりしなかった・・。)

途中でエルンストの素晴らしいコラージュ・ロマンのコーナーなんかもあって全体としていい展示だ。
1回目に一緒に行った、諸展示に安々とは高いお点を付けない知人も「おもしろい!」とご満悦だったし。

それにしてもコラージュという技法(の本質を用いた優れた作品)がいかに激しく「統合的なもの」であるかを改めて認識する。
コラージュにも様々な情緒や構想があるし、必ずしも全てとは言えないが、個々の素材間は限りなく遠く離して、最終的に一つの画面に展開するときには人の脳の統合作用を刺激してイメージを絵空事でなくむしろリアルにする。
言葉で言える範囲のためとても雑駁な例だが敢えてあげると、タキシードきた七面鳥みたいなえせ紳士って、いますよね・・。離してからくっつける、この移動距離が大きければ大きい程おもしろい。

コラージュは、分裂的で、超現実的なものと思われているかもしれないが実は真逆。
様々な芸術技法の中でもことさら、脳において賦活させる機能という点からは統合的であり、そのイメージはむしろいかに現実的であるかを競うているのだ。

4月7日まで。



# by zelan | 2019-04-05 11:29 | 展示レビュー
2019年 04月 03日

バギーでスマホ

自分は絵を描くのでまざまざと実感できるが、人間の感覚的リソースというのは一時にはそんなにマルチな事柄に振り向けられない。何か作業していてふと「この前あの人が言ったあの一言、むかっぱらが立つ~」と脳内焦点が一瞬シフトしただけで、もうこれは100%といっていい位に、ろくなことにはならないのだ。

という訳でこの前バギーに乗った赤ちゃんが真剣な顔でスマホを凝視しているのを見て自分は恐れをなした。
暑いとか寒いとか、空気がいいとか悪いとかの方が赤ちゃんにとっては重要でそれで泣いたり騒いだり笑ったりする方がいいのではないかと思ったからだ。スマホを見ていたら必ずやある種の「感覚遮断」に陥ってしまう・・。
でもスマホだのITだのはとっても便利だし、藤井X段(何段だか知らない・・)なんかが超絶強いのもITによる学びや研究が寄与しているらしい。

なので結局、「ま、ものは使いようよね・・・」という人類が道具を持った時点から既にずーっと変わっていないだろう結論に落ち着くのだが、しかしその、「ものは使いよう」という線を的確に実現するのが一番難しいのであって、ブッダも「中庸とは難しいものである」と言っている(はず、確かにどこかで聞いた気がする)。
自分の感覚では、中庸を極めようとすれば結局、感覚・知力を盛大に使って個々人において経験し、また見極めていくことになる。そういう意味ではここにいる私が今、そしてこれからどうITを使っていくかなど、殆どアートに近い。

そう、アートというのは特別のことでなく、生きることそのものがアートまみれなのだ。だから自分は(特に日本語においては)基本アートという言葉を使わず、制作行動の周りや展示をやったり見たり考えたりといったあたりのことどもについては、極力美術または芸術と言って、誰からも頼まれてないのに一人勝手にアートの領分を狭めているのである。



# by zelan | 2019-04-03 21:17 | 社会について
2019年 04月 02日

これ俳句 ~ 内藤京平「luna o lunar」@Bambinart Gallery

3月に開催されていて既に終わってしまった展示ではあるが、アーツ千代田3331のBambinart Galleryで内藤京平氏の個展を見た。

古典絵画からのモチーフと線とドットで構成されていて、基本それ以外の要素を含まずミニマルにまとめられている。余白が非常に大きい作品もあって自分は氏の「抑制力」に感心した。自分なら余計なサービス精神を余計さが出ないように四苦八苦しつつそれでも余計にやってしまう可能性がある。

さてミニマルとは言ったが絵画は要素が多かろうが少なかろうが適確な情報密度が必要で、情報密度とは即ち脳及び視覚を始めとする身体感覚への刺激であろう。そしてどこにその刺激を感じるかということは個人差があるかもしれない。自分の場合は具象モチーフ部分がどのように作成されているのかしげしげと見つめてもよく分からないことにいたく興奮した。描画材で描写したようには見えないのだが、印刷物を貼った感じでもなく表面に蜜蝋状のくすみ・・・もしくはメディウムを混ぜた絵の具とかもしれないが・・が施されている部分があってそれが背景とのなじみをよくするとともにモチーフ部分のマチエールに深さを与えている。もしかしたらタトゥーシール的なものも利用されているのかとも思ったが、例によってどこかに書いてあるかもしれないけどそれを調べないで想像することに喜びを見出す自分には、何が正解なのかわかんないのであった。

要素極小にして深く楽しめる、俳句みたい。

展示概要


# by zelan | 2019-04-02 11:22 | 展示レビュー
2019年 04月 01日

新元号

繊細・清冽・フェミニンな語感の新元号になってよかった。
美あふるる時代となりますように。


# by zelan | 2019-04-01 12:03
2019年 03月 31日

ああいう大人になってもよい・・画廊劇『焚書都市譚(三月版)』@LOKO GALLERY

展示やイベントというものは、実際に行くまで自分がどういう感想を持つかは決してわからない(「ルノワールなんだから絶対感動しなくっちゃだわ」、とか最初から決めて行く場合を除く)。
そして大抵の場合、それらは良かれ悪しかれ我々の人生を多少なりとも変える。日常的ではない集中力でもって作成された物品とか時間なのだから、人間の脳はそれらの濃い刺激を浴びて心身に何らかの影響をデリバリーし、それがドミノ倒し的に次々と微細な変化を人生に及ぼしていくはずだ。

即ち、感想も影響もはっきりわからないものの、毎日ただ同じことを繰り返すのではなくてそういう場に行くならば、いいことの(も)起こる可能性を広げることになる。
これらに足を運ぶ人々はだから、好機の狩人なのである。

と、いうことで昨日LOKO GALLERYで開催された画廊劇『焚書都市譚』に行った。
演劇・美術・音楽の複合的なパフォーマンスの中で観客は自らも一部の展開に加わりながらギャラリー内を移動する(正確には後述の「仕切り」によって移動させられる)。個人的に特に気に入ったのは原作者であり主たる演者でもある古川日出男氏の役割なのか実像なのかの虚実入り組んだ演技、というか自分には「仕切り」という言葉が浮かぶ、であった。「生まれ変わったらああいうタイプになるのもいいなあ・・」と見ている最中に思った。異論は(かなり)あるかもしれないが自分はおとなしい方で、あんな風になれたら違う世界がひらけて面白いかもしれない、と思ったのである。

そして翌日であるところの今日、昔北陸の地方都市でバリバリの文学少女だった頃に書いた長大な詩の所々をなぜか克明に思い出し、それを再び書き起こす、という所業に出た。始めはなぜ突然こんなことをしているのか訳がわからなかったが、昨日芝居を見たせいであることに追って確信を持って気がついた。恐らく、当方の常々主張する脳の「クッキング」機能のせいで、元々大好きだったくせに今や大嫌いになっていた自分の「言葉」というものに対する不信が好意方面へと、少々移動したのである。

思ってもなかった仕切りをしたいという欲望を見いだしたり、言葉に好意を取り戻したりと、これらはごく個人的な体験であって、全然イベント自体のレビューの体は成していないが、行ってトクした。
ことほど左様にそれぞれに行ってみなければまるっきりわからない影響が期待できそうな、高熱量・好イベント。

4/21にも開催されますが、現在キャンセル待ちのようです。


# by zelan | 2019-03-31 22:34 | 展示レビュー