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原初のキス

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2019年 09月 20日

糸は水 ~ 手塚愛子個展@MA2 Gallery

はは~ん、糸は水なんだな、とギャラリーの3階への階段を登りきった所にある小品を見て自分は突然悟った。

手塚氏は織物の糸をほどいたりそれを更に編んだような作品(とは雑駁な説明である。後段のリンクを乞参照)を制作しておられるが、この作品は花柄の布が上の方にあってその下はそれをほどいたように見える糸が垂直に垂れていて~というか、糸の一部あるいは全体が多分パネルかカンヴァスであろう支持体に貼ってある・・ああ、説明が難しい!~ものであった。糸に青系が含まれていたこともあってその様子は自分的には「滝」を思い起こさせた。それで上述の認識に至ったのである。

だから何?ということは自分でもうまく言語化できるかきわどい。でも要は、糸は水のように、物理的にはいかような形もとりうる存在であり、それがよりあわさって固体である布になるし、あるいは、布が糸へとほどかれることもあろう、というのを改めて認識したということ。
即ち、布という存在に対する過去と未来をまさに流動的に示しうるのであって、実際、これらの作品は布ができた後からほどかれたのか、これから布へと編まれるのか、それがよくわからないところが自分的にはおもしろかった。
ここにある「作品という現在」は、主には過去の結果を表しているのか(布をほどきました)、これから向かう未来を示唆しているのか(続きをこれから編みます)、それが見ている自分には決定できない、ということが、時間的輻輳性を感じさせ、それが非常に幻惑的で興奮したのです。

でも織物のことわかってる人ならそれは明確にこっち!とか言えるのかなあ・・。まあ自分のリテラシーのなさも時に鑑賞に役立つこともある。因みにここにおける「鑑賞」とは、自分が楽しめる、ということである。

Flowery Obscurity 華の闇
MA2 Gallery(恵比寿)にて
9月28日まで





# by zelan | 2019-09-20 21:51 | 展示レビュー
2019年 09月 19日

古色の時間軸

最近3~40年前の古い額縁を入手した。アンティークと言うには若干新しく傷も少々あったが、埃を落とす程度に磨いてみるといい味が出た。
これは木製のもので、やはり木(自然物)はすごいと思う。古びるというよりも、新品の頃とは違う、別の次元に移行するって感じ。
同じ時期に金属のやはり同程度古い額も入手したが、こちらの古色はいい感じになるまでもう少し時間がかかりそうだ。というか、金属の古色って錆びるくらいまで出るのがよさそう。今更ながら、古色というものは素材と関係があり、そうして素材毎に特有の必要な時間軸がある。

現在参加中のグループ展の作品にも上記木製の古い額を使っています。

『幻視の薔薇の咲く庭で、ふたたび』
ポルトリブレ デ・ノーヴォ(高円寺)にて9月23日まで




# by zelan | 2019-09-19 10:40 | 美について
2019年 09月 18日

誘惑

物を作る時はある程度抽象的なレベルにおける「初志貫徹」と言うか企図を実現するぞという構えみたいなものが必要だと思うのだが、途中で「聖アントニウスの誘惑」並に別の道への様々にして強烈な刺激が必ずや訪れる。

臨機応変という自由さを保っておくことと、初志貫徹の両立が必要になるため、やってくる刺激がどんな種類のものなのか、使えるやつなのか悪いやつなのかみたいな見極めが必要って感じ?いや、というより恐らく、自分の「反応」の質の方を見極めるべきなのだ。現象なんていろんな事が無限に起こるんだから。


# by zelan | 2019-09-18 11:56 | 制作心理
2019年 09月 17日

失敗したモノたち

昨日おおウケしたことがあった。
制作にシリコンオイルスプレーを使うのだが、その缶を持とうとしてつるっと滑って落としてしまったのだ。
ご存知の通りシリコンオイルというのは物の滑りを異常に良くする。でもかといって自分自身の滑りもよくしてしまうとはね・・。吹いた時に缶自らが少々浴びちゃったらしい。

なんかこれと同じような感じで笑ったことあったなぁ・・と考えていたら昔の記憶がよみがえってきた。
以前会社に勤めていた頃、ある日部門長室に入るとなんだか妙な化学薬品的匂いがした。
一緒にいた課長が、変な匂いしますよね、と何の遠慮もなく部門長に言うと彼が、さっき消臭剤をまいたんだけどその匂いだ、と答えた。自分の関心は一瞬現在の匂いから消臭剤をまいた原因の方に傾きかけたが、その時課長が発したキテレツな一言に思わず笑ってしまった。即ち、
「それはおかしい、消臭剤なら自分自身の匂いも消さないといけないですよね。」
と、言ったのである。

シリコンオイルが期せずして自分自身も滑らせちゃったり、消臭剤なのに自分の匂いは消せなかったりと、こういう無生物による存在論的過ち、ってどういう訳か自分のツボにはまる。

もとい、シリコンオイルは本当によく滑る。冗談ではなく床にかかったりすると転倒の危険があるので、注意して使うこと。


# by zelan | 2019-09-17 13:32 | ヘンな話
2019年 09月 16日

和紙と墨とマチエール

改めて考えてみると不思議なことのひとつに、和紙に墨が施されているもの(書など)というのはマチエールがバッチリ合っている、ということがある。洋紙にアクリル絵具一層では、必ずではないものの多くの場合こうはいかない。仮説としては和紙や墨が既に相当に複雑な物質的奥行きを孕んでおり、説得力を持つのではというのはあるかもしれない。ちょっと「寿司」に似ている。シャリとネタという二大存在で手数はむしろ最小で成り立つ。一般的な洋画はフランス料理で、ある程度手数がないと見かけがそれらしくなりづらい。(もちろん、超雑駁な言い方。)

結局、自分の場合制作していて一番苦労と言うか考えざるを得ないのがマチエール だ。私の作品はかなりつるっとしているし、そうしたものが生理的好みなのでそれはそれでかえって難しい部分もある。そうしてそれを探っていると、現実に存在する物質は空想しているものとは違うどんな具合的な感覚を励起せしめるのか、と言うかなり抽象的かつ個人的な問いに関心が集約してくるのだ。

現在以下のグループ展に参加しております。作品の一部に墨を使用しました。
本日午後2時半~5時頃在廊しております。

『幻視の薔薇の咲く庭で、ふたたび』
場所: ポルトリブレ デ・ノーヴォ(高円寺)
会期: 9月23日(月)まで



# by zelan | 2019-09-16 12:35 | 展示案内
2019年 09月 15日

ずれる

イメージの制作においては基本自分の思惑からずれていく方がいいと思う。
自分が孔版やミクストメディアで版的表現を使うのは、版というものが基本的には私自身から常にずれてくれる可能性を有しているからだ。
思い通りになるのが一番いいなんてそこまで自分を信用してない。
ズレは天(自然)からの恩寵である。


# by zelan | 2019-09-15 11:36 | 制作心理
2019年 09月 14日

ピーマンと神棚 ~「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」@国立新美術館

90年代に「料理の鉄人」というTV番組があり、時々見ていたのだが、その中で自分の印象にひどく残っているのがピーマンが食材としてフィーチャーされた回であった。その時確か外国の料理人が、ピーマンのピューレというかスープ的なものを作り、確か(確かが多い・・)さる有名コピーライターの評者が、そのおいしさに対し、「ピーマンに生きる意味を与えた」という主旨のことを言ったのである(多分)。印象に残ったと言っている割に正確性が捨象されちゃってること、それとピーマン農家さんにも少し申し訳ない記憶だが、この「XXに生きる意味を与える」ということって、あるよね、と当時思ったことは確か。

国立新美術館の企画展「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」を見に行った。幅広い年代の複数の現代作家の作品展示で、自分がぐっと来たのは豊嶋康子氏のパートだった。木製パネルの裏返したやつにやはり木製パネルの足というかガワのようなものを様々に切ったりしてパズルのようにはめてあり、所々に板、板の上にビスなんかも打ってある、そうしたパネルが額ひも状のもので壁から斜めに浮かして取り付けてあったり、棚状にして神棚みたいに高い処の壁に貼ってあるのもあった。当然のことながら自分はそのパネルの足やら、翼を広げたような形の頭がついてるビスやら、通常はパネルの裏側に隠れて釘にかかってるだけのひもが、壁から斜めパネルを実現するにあたり表だって働いているのをしげしげと見る。これらは一種のパラレルワールドみたいなもので、普段非常に脇役というか単に機能を押しつけられてそれをこなしてるだけで雌伏?している物たちが急に出張ってアートしている(ていうかそういうものが出張ってることがアートの一要件を成してる)のが新鮮だった。自分がパネルの足だったらドヤ顔をしたい処だったろう。ピーマンが生きる意味を与えられたように。
言うまでもなくこれはあくまで個人的感想にすぎない。だって例によってキャプションや解説を殆ど読んでないし・・説明を読まずに書く展示感想文ジャンルを確立したい位だ。あれ、でもこれらの作品と文学とどう関係するんだろう・・解説を読まないで若干困るところはこういうとこ。

この展示、他には映像やインスタレーションが多い。それにしても年齢のせいもあるのか鑑賞に一定の時間を要する映像作品をゆったり味わう丁寧な心持ちが欠けてきた昨今、やっぱりパっと見てパっと頭が動き始めるもの、というジャンル及び作品の存在はありがたい。

国立新美術館にて、11月11日まで



# by zelan | 2019-09-14 14:01 | 展示レビュー
2019年 09月 13日

コラージュ教室 10月期のカリキュラム

目黒学園カルチャースクールにて開講しておりますコラージュ制作の連続講座「初めてのコラージュ」10月期のカリキュラムをお知らせします。


毎回異なるテーマにて、印刷物を使う基本のコラージュの制作方法から、種々の追加技法で作品の魅力を増す工夫や技法を含めお伝えしています。

「初めてのコラージュ」2019年10月期概要:
■第2・第4日曜日 11-00 - 12:30
■場所 目黒学園カルチャースクール(JR/地下鉄目黒駅至近)
■体験/期中入会随時

詳細はこちらよりご覧ください。





# by zelan | 2019-09-13 10:29 | セミナー案内
2019年 09月 12日

柄もの3年分と、展示

明日から展示が始まるポルトリブレ デ・ノーヴォに作品搬入。

JR 高円寺駅から活気のある商店街を10分ほど抜けていくその間、全然飽きない。
自分が特に印象深く感じたのがえらく柄ものの服を売っている店が多いということだ。テイストとしてはワールドと言うかヒッピーカルチャーと言うかその系統で、センスといい物量といい通りすがりにチラ見するだけでもなんだかウキウキする。やや不謹慎な例えにて、天気のニュースで1年分の雨が1日で降りましたというような表現があるが、あそこに行かなければ大体3年はかかるだろうその類の服の柄を10分で見れるという、そういう感じ。他にも猫の手をかたどった大きなクッションとか、スポンジ・ボブの格好をしたリュックとかを置いている雑貨店、手織りの絨毯の店、渋い品揃えの古書店などもあり(そこで、「ビジュアル・アリュージョン 知覚における絵画の意味 N.ウェイド著」という本を衝動買い)、搬入という大事な用事もさることながらその前後も楽しかったのであった。

展示は7名より成り、70年代から活躍されている高名な版画家多賀新氏も、近作を含め出品されております。

ご来廊心よりお待ち申し上げます。

展示名: 『幻視の薔薇の咲く庭で、ふたたび』
会期: 9月13日(金)~ 23日(月)
場所: ポルトリブレ デ・ノーヴォ(高円寺)




# by zelan | 2019-09-12 17:28 | 展示案内
2019年 09月 11日

アイアイとコンテンポラリー

童謡の「アイアイ」と言えば子供の頃もっとも好きな歌だった。
当時からうっすらと、アイアイってあまり「サルっぽくない」がためにその存在を明確に「おさるさんだよー」と宣言しておかないといけないんだろう・・という比較的大人っぽいことを考えていた。

ということをふいに思い出した流れで、数十年間実際のアイアイの姿を一度も確認せず漫然と生きてきた私は、一応見ておくか、どうせかわいいだろうけど・・と、アイアイの画像を検索し、こちらの画像にいきあたった。


アイアイってダッコちゃんなみにかわいいかと思っていたが、実に気合いの入ったかわいくなさが逆に粋だ。

ところで・・・アイアイみたいな(ねずみのようなサルのような)作品を創りたいコンテンポラリーの人は多いのではないだろうか。例えば、これ絵なんですよー写真みたいでそうは見えないかもだけど。とか、いや写真じゃあまりとんでないから、これ絵なんですよ、見かけは「柔道」ですけどね、とかそいういうことを言ってみたいし、いかにそれをうまく言わんとするかがコンテンポラリー・アート(の乱暴に言い切った場合の一面である)ってことに、自分の定義では、なる。



# by zelan | 2019-09-11 15:57 | 美術について