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原初のキス

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2019年 07月 12日

考えと絵とスポーツ

何かの発想がうかび、その主題でものを考えていると3段階ぐらいまでは深まってるないいぞいいぞという感じになるが、でも4,5段目ぐらいとかその先まで考え続けているとなんかごちゃっとしてきてかえってわかんなくなってくることが多い。

絵のマチエール(質感)の説得性なんかもそうで少なくとも自分の使っている技法の場合経験的にほぼ3から4層で基本的には決まる。ところがそこで何か物足りなくて足したりすると逆に、それまで基本的には存在していた簡潔性が全体として損なわれ、結局その付けたした層までを2層目ぐらいの存在にわざわざ捉え直して(捉え直すというのは例えば物理的には絵具やスプレーでつぶしたり)また改めてやってかなければいけないとなり・・、で、少なからぬ場合結局あんまりスパっとした状況にならないっていうことが多いんですね。

三段跳びって競技があると思うがあれは四段跳びとか五段跳びとかぢゃいけないんだろう、ということが、美術的体験としても納得なのであった。



# by zelan | 2019-07-12 22:18 | 制作心理
2019年 07月 12日

嘘っぽい

ちょっと前まで自分の中で流行っていた言葉はきっかけは忘れたが「リテラシー」だったが、最近では「嘘っぽい」だ。正直、何でもかんでも「嘘っぽい」かそうでないか、の二つに分類して密かに楽しんでいる。それでいくと、今の政権はかなり嘘っぽい。論拠を示せないでもないがやめておく。そもそもこれは論理というより感覚の問題だし、それに政権の個々の構成者や関わっている事案の全てが嘘っぽいと言ってるのではなくあくまで、総体としての印象についてのみ言っているのだから。

政権はともかく、美術作品だって嘘っぽいのとそうでないのがある。これは上手いとか下手とか、有名か無名かとかとは、本質的に関係がない。自分はささやかなり絵画と版画のコレクターでもあるが、嘘っぽいと自分が思うものを買うことはない。それは文化の破壊に長い目で見れば、微量なり(自分の場合超々微量)いくらか荷担することになるからである。


# by zelan | 2019-07-12 22:03
2019年 07月 06日

彼は少数派

こちらのサイトにダ・ヴィンチの名言が集められているのだが、その中に次の言葉がある。

「食欲がないのに食べても健康に悪いように、やる気がないのに勉強しても記憶力が損なわれ、記憶したことは保存されない。」

主眼はこの文の後半だろうが、自分はむしろ前半を見て目がキラーンてした。彼は私が5.5%位しかそういう主張をしていないと推測した少数意見を持っていたのである。

そのことを書いた記事はこれ:

やっぱりお腹が減ってから食べるというのを試してみようかしら・・・。(勇気がなくまだ試していない。)




# by zelan | 2019-07-06 23:08 | ライフハック
2019年 07月 02日

エジソンがいなければ

エジソンがいなかったらこの世はまだ暗いのか、という話を友達としていて、その人の意見では「でもきっと誰かが発明してた」というものであった。同様にスティーブ・ジョブスやビル・ゲイツがいなくても、なんか似たようなものは誰かが作って使ってるということである(スティーブやビルのファンの人から怒られそうだなあ・・)。

それを聞いて即座に思ったのは、でももしダ・ヴィンチがいなかったらモナリザは今この世に絶対に存在していないよね(論理的にこれは真実であろう)ということだ。自分は別に科学技術というものを芸術より下に置いている訳ではない。ただそれらの存在が、世界に対して持つ影響や機能においては本質的に違うのではないかということである。


# by zelan | 2019-07-02 22:16 | 科学や技術について
2019年 06月 30日

めんどうと人間

できるとわかることをやるのって、めんどうだなあ、と自分はしばしば思う。例えば郵便局に切手を買いにいくとか・・・それなのになぜ歯を磨くのをめんどうに感じないのかは、よくわからないが。

もとい、絵を描いたりするのはよほどエネルギーのレベルが下がっているとき以外はさほどめんどうとは感じないのであって、この理由のいくらかは、「できるかできないかわかんない」からではないだろうか。

一方、人間不条理にも、できるかできないかわかんない、ことが眼目でかつそれを楽しんでもいるにも関わらず、「必ず(いい絵が)できるやり方がほしいなあ・・・いつでもどこでも、思った通りにできないものか」と妄想し、そういう意味だったかどうかは知らないが「ロボットになりたい」と言ったウォーホルにえらく共感したりする。とにかくなんか決まった安全な原理的なやりざま、を、求めたくなってくるのだ。

そんなにわかってることがいいのなら、郵便局に切手を買いに行くのだって、楽しくやればいいのにね。



# by zelan | 2019-06-30 21:38
2019年 06月 29日

目黒学園カルチャースクール「初めてのコラージュ」7月期開講

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目黒学園カルチャースクールにおける、コラージュ制作初心者の方向け「初めてのコラージュ」講座の7月期がもうすぐ開講です。

「初めてのコラージュ」概要:
◎第2/第4水曜日 19:00 – 20:30
◎場所 目黒学園カルチャースクール

詳細はこちらよりご覧ください。

コラージュは印刷物等から素材を切りとり、組合せて新しいイメージを創造するアートです。
描写のような鍛錬を必要とする技術を直接は必要とせず、ご自身の関心や感性ですぐに作品制作に取り組め、素早く上達することが可能です。

7月期の連続講座は、各回以下のテーマにて行います。
  1. 7月10日
    3つの要素で創るコラージュ ~ 素材を選ぶ着眼点「距離」と「謎」について
  2. 7月24日
    私のモンスター ~ 理屈を超えた、生命体を表現する
  3. 8月14日
    モナリザをテーマに ~ 素材の意味を「変える」
  4. 8月28日
    黒の力 ~ モノクロ・コラージュの世界
  5. 9月11日
    絵具による転写技法(デカルコマニー)を使ったコラージュ ~ 偶然性を活かす
  6. 9月25日
    二人の貴婦人 ~ 古典絵画をベースに二つ折りカードを制作

いずれの回も体験参加可能です。
ご興味のあります方は目黒学園カルチャースクール(電話:03-6417-0031)までお問合せ/お申込をお願いします。

(図像 是蘭 コラージュ)



# by zelan | 2019-06-29 14:13 | セミナー案内
2019年 06月 28日

怖くてやってないこと

自分が怖くてまだやっていないことの一つに、「お腹が減ったらご飯を食べる」というのがある。

昨今の健康情報においては、「食事は規則的にするべきである」説が大体94.5%位で、お腹が減ったら食べるのがいいと主張しているのは5.5%位にすぎない。自分の場合朝ごはんは8時、昼ご飯が12時半で夕食が結構早くて5時から6時といったところで規則的である。どうも食事の間隔が短いせいもあるのか、時間になったら食べるという感じで空腹になったら食べるという風ではないのだ。なので一度、件の空腹になったら・・というのを試してみたいのだが、いわゆるところの健康情報の大勢がそうではないのでそれを試みる勇気がない訳。
(健康情報といえば先日立ち読みした本に、「3食を12時間以内の中に収めるというのが痩せるコツ」だと書いてあってびっくりしてしまった。これが真実とすれば、自分は心底太りたいと思っているのに毎日痩せるコツを実践している・・。)

で、この記事をここまで書いたら、「でも別に毎日じゃなくていいのだから一回試しに<空腹になったら法>をやってみる」というやりざまをおもいついた。まだそれを本当にやるかはわからないけど、やっぱりこうやって文字にするというのはいろいろアイデアが出たりして良いことなのかしら。

ちなみに前段の細かいパーセントは自分の感覚によるものだ。時々額縁屋さんなんかで、額の厚み等についてこれ28ミリ位かと思いますが・・と言うとがっつり合っていることがあり額縁屋さんを驚かすということがあるので、自分はその辺りの見当?については不思議と自信を持っているのである。


# by zelan | 2019-06-28 22:37 | ライフハック
2019年 06月 23日

本日の真実

ホンジツのシンジツというのは軽く韻を踏んだつもり。今日、友達と夕食に行ってモッツァレラチーズが食べたいと思ったが、最近よく食べていたトマトの代わりにルッコラを合わせてもらい、もはやカプレーゼとはいえないカプレーゼ的なものをお願いして作ってもらった。そうしたらこれがまた非常に美味しかったのだ・・。

ということで自分はとある真実に気づいた。それはモッツァレラは出汁(だし)であるということである。
出汁だったら何でも合う。色で言えばちょっと無彩色っぽい感じ?



# by zelan | 2019-06-23 20:54 | 感覚について
2019年 06月 22日

戦略と機嫌~ユアサエボシ「曲馬考」@銀座 蔦屋書店

ユアサエボシ氏の「曲馬考」。Ginza Sixの蔦屋でやっていて見に行き、画力は素晴らしいし構想もプレゼンもコンテンポラリーの戦略的な視点からは満点な感じ(って自分が偉そうに言っていいかはわからないが)であって、視覚的にも脳的にも大変に面白かったので自分は喜んだ。

ところが、一緒に行った知人の機嫌が悪くなってしまったのだ。
過去に生きた架空の画家の描いた絵、というしつらえなのだが、十分に過去ではない、過去の人では描けるはずのないものを描いている、と、言うのである。言ってることとやってることが違うのは許せん!と言われ、ちょっとマッチョに聞こえるけど筋が通っているとも思われる意見で(ちなみにこの知人は美術方面にはかなりのリテラシーがある人だ)、一方「なんか違う・・いや、かなり違うのでは」とも思ったが、しかし反論する体力も気力もそしてそこまでの動機もなく寂しく佇んでしまったのであった。

何を言いたかったのかわからなくなりそうなのであえてまとめると、

  • 多くの人、特にコンテンポラリーが好きな人々にはかなり刺激的で素晴らしい展示と思うので、見に行かれるとよいのではないか、というお勧め 

そして、

  • 「鑑賞」とはいつまでもどこまでも自由なもので、それぞれの人の立場を貫いて意見を吐露するのはよいと思う、

と、いうことである。

銀座 蔦屋書店 アートウォールギャラリー
7月12日まで。






# by zelan | 2019-06-22 21:22 | 展示レビュー
2019年 06月 20日

作るか選ぶか

ふと思いついたのだが、様々な芸術や技能は作る系か選ぶ系かに分けられそう。絵画は一般的には作るでコラージュは選ぶである。彫刻は作る、写真は選ぶ、ダンスやパフォーマンスは作る、音楽も作る、でも DJ は選ぶ、とか。

絵画で言えばマチエール(質感)はかなり個人の好みの差が大きくて、ざらついたものが好きか平滑でつるっとしたものが好きかは鑑賞者にしても制作者にしても結構決まっててしかもなかなか変わらない(制作に関して言えば「一生変わらない」とちょっと脅しとも取れる雰囲気で聞いたこともある・・・コワ・・・ちなみに自分の場合はつるっと派だ)。それと同じように、作る系・選ぶ系どっちに与するかって、容易には変わらないような気がするな。


# by zelan | 2019-06-20 23:49