原初のキス

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2018年 02月 20日

くじ運の証明

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大学生の頃バイトとしてホテルのバンケット(=パーティコンパニオン)をしていて、その間散々ビンゴゲームに参加していた(当時ビンゴの時はなぜかコンパニオンも仲間に入れてもらっていたのだ)。それでひどく不思議に思ったのだが、自分が一回もそれで末席の賞にもあたらないのに、なぜか、この完全に偶然に依拠しているゲームでいつもといっていい程に高位の賞をとっちゃうバンケ仲間がいたことだ。

自分はこれで世の中に「くじ運」というものが存在するのを経験的に知った。で、そのくじ運が自分には欠けていることもまた知ったが、それでもってたまさかの運的僥倖に期待することがなくなってよかったと思う。くじ運に頼るより努力に頼った方が、自分の場合効率がいいのである。

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# by zelan | 2018-02-20 01:36
2018年 02月 18日

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創られつつある絵にはそれ独自の生命があって、ちょっとやそっとのことでその息の根を止めることはできない。ただ、創り手がその力を隠し、覆い、邪魔をして、弱めることがある。鏡に泥を塗るように。
自分の絵を良くしたい、という思いが強すぎると逆に、そういうことになりやすいのではないかと思う。

絵(やあるいは他の、人間が表現行為として成すもの)の命は簡単に殺せない、なぜなら表現物は制作者自身の力だけで成り立っているものではなく、それまでの関連する歴史はもちろん、空気や重力など、広大と言える自然かつ物理的な存在にもまた支えられているからである。

それは気をつけていないと、すぐさま砂のように指の間からすり抜ける認識だ。でもそれは真実なのだから、忘れない方がいい。

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# by zelan | 2018-02-18 23:23
2018年 02月 17日

おめでたい

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何となくイライラするなーと思って自分を観察してみるに、単にやりたいことが多くて今どれを選ぶか決めかねているだけだったりする。
細いパイプにいくつものものを同時に通そうとしている故に、入らない・あるいは詰まっている感が生じて苛立つという、当たり前の状況なのであった。

ある意味おめでたいというか、幸せなことなのであろうと思う。

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# by zelan | 2018-02-17 23:40
2018年 02月 16日

実験

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自分の昨今の悪癖の最たるものが夜更かしであって、12時前に寝たいのに1時とか1時半に平気でなってしまう。12時半に寝る・・・実際にやってみる。できた。

できるとわかっていることをやらないのが我々の性、それならば、できるかできないかわからないことをやらないというのは当たり前すぎる選択なんだろう。人々が人生において取るべきあるいは取った方が良いリスクを取らず、結局めざましい進歩もなくつまんない人生を送っちゃう理由がこれではないかと思うほどだ。

多少なり(自分自身の定義で)凡庸である(あり続ける)ことに抵抗があるならば、まずできるとわかっていることをスパスパやっていくことがいいのかもしれない。多分そのコツは、「感情ではなく理性を使う」ということ。

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# by zelan | 2018-02-16 23:02
2018年 02月 16日

童形なれば ~ 風姿花伝その1

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実家から持ってきた30年以上前の本をいくつか残しておいたのだが(ほとんどは某インテリ古書店さん~なかなかの値段で買ってくれてありがとうございます・・~と、ブックオフさんに売ってしまった・・)世阿弥の「風姿花伝」に直撃をくらって今嘗めるように読んでいる。最初の方に年齢毎の能の修行の要点などが書いてあるのだけれど、十二、三才の項に、

 童形なれば、何としたるも幽玄なり

とあって早速、シビれる(死語)!と思った。
が、シビれた割に意味がよくわからん。なぜまだ幼さを残していると自然に幽玄になると言うのであろうか。でも、はっきりはわからないもののすごくわかる感じもまたする。幼い、即ち大人ではない者はまだ異界に片足つっこんでいる、ということなのではないか、とか。

ご存じの通り、「幽玄」及び「花」が「風姿花伝」の中で頻出するキーワードではあるのだが、世阿弥氏は花については比較的説明しているものの(別の記事で書く予定)、幽玄の方はあんまし説明してくれてないのであった。自分で考えないとつまらないのであまりググってはいないけど聞くところによると彼の言う幽玄は今のニュアンスよりもっと具体的であり、品があって優しい感じとかそういう雰囲気なものらしい。

それにしても、童形なれば幽玄、っていいなあ。絵なんかもあまりいぢくっていると良くなくなって、自分という「天然」がでるのが基本やはりよいというのがあるし・・、
もしかしたら書いてあることを完全に誤解しているかもしれないが、よしとする。だって専門家じゃないんだもん!

「風姿花伝」は本当に素晴らしい芸術論だ。絵画というstaticな芸術にも適用できるところはわんさかあるし、これが音楽など舞台でライブでやるものとなったらもうものすごく参考になるんじゃないか。世阿弥は確か50代後半に至る20年位の間に風姿花伝を書いてるから、この最初の方の話はお父さんの観阿弥の教えをなぞっているとはいえ彼が30代後半位の時に書いたものである。

P.S. いくら「専門家ではない」と開きなおってもあまりにあさっての解釈では恥ずかしいと思い横目でWebサーチしてみたところ、「童形」とは即ち稚児の姿をしている、という具体的なことを言っているそうだ。でもまあ、さのみ「あさって」でもないと思うのでこのままのせておく。



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# by zelan | 2018-02-16 00:22
2018年 02月 15日

証明はできないが

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証明はできないものの相当に自信のあることとして、日本の美意識の根幹は「清浄」にあると確信している。これは世界的に見てもおそらくとてつもなくユニークだ。なぜそこまで日本人が清浄にこだわることになったのかはよくわからないが、その前後関係はともかく神道と関わりがあることもまた明らかだと感じる。

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# by zelan | 2018-02-15 00:04
2018年 02月 14日

漢方半脱却その後の報告

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先のエントリーにて漢方薬は非常によいものであるが行動と体調の因果関係が見えづらくなる、と述べた。その後漢方なしでやりくりしていく内に、これはかなり正しいと再認識するとともに、それでもなんだか因果関係がよくわからない事象が起こり得るということに気づき、それはそれで興味深く思っている。

例えば、先日私は明け方ふと目が覚めた際、かなりいい感じで筋肉が緩み、心持ちも穏やかであることを感じた。しかしその前の夜は比較的遅くまで酒色、じゃない、酒食を楽しみ、寝るのも遅いという比較的不摂生系だった訳。で翌日最終的には10時を過ぎて起き、よく寝た故か最初すっきりだったのにその後なぜか絵もその他の仕事も発想も能率も極限まで低く、常の2倍位にイライラしてしまい、イラつくことにまたイライラするという典型的ネガティブループに夕食後位まで珍しくもはまってしまったのであった。

ん~でもこう書くと若干の因果の推測は成り立つのかしらん。もしかしたら10時に起きたのがいけなかったのかな。夜中のリラックスの理由は今ひとつナゾだが、そこからきんと8時頃に起床して陽を浴びてたら、まともな一日を過ごせたかもしれぬ。

もとい、ここで漢方でカヴァーアップしていたらこういう仮説をもてあそぶ必要もなくなってしまう。それでは状況を純粋に観察するおもしろみも逃してしまうので、やはり少々もったいないと思う。

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# by zelan | 2018-02-14 07:27
2018年 02月 13日

ピンク・緑・むらさき

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入浴剤というものは人工着色料や香料等がてんこ盛りだったりもするが結局の処気分がいいので浴槽に入れるのだけれど、自分は好んで、ひと箱に色々な香が入っている炭酸入浴剤を買ってくる。タブレットの袋はその香にあったイメージの色をしていることが多く、例えばバラはピンク、森の香り(ってなんだろう?)は緑、ラベンダーはむらさきといった具合である。

不思議なのは朝夕風呂に入る時に決して自分がそれをテキトーに選んだりしないことだ。明確に、今は何色の気持ちなのかがあるのである。それを決定しているものは必ずや存在するはずなのだが、自分からはそれを論理的に説明することができないところがたいそうおもしろく感じる。


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# by zelan | 2018-02-13 08:00
2018年 02月 12日

暗号

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絵画はまずは制作者にとっての暗号である。自分自身がそれを解いていくのが創るという過程となる。答えの片鱗は常に発見され続けるけれども、絵が自分に回答の全貌を明かすことはない。回答も新しい謎も、絵の中で不断に生成され続ける。
そして創られたものが良い作品であるならば、絵は観る者にとっても暗号となるだろう。

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# by zelan | 2018-02-12 15:30
2018年 02月 11日

タコを切ったような・・・

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サザエさんの漫画でワカメが、竹を割ったような性格というべきを「タコを切ったような性格」と間違える、というのがあり、こればかりは何回思い出しても笑える。タコをどこの部分で何を使って切るかにもよるかもしれないが、甚だ芳しくない性格であることは確かなようだ。切っても、切れていても、全然スッキリしない。

一方自分や他人が時々、この明確には説明しがたいものの感じとしてはよくわかるタコを切ったような性格状況に陥っているのを観察するときがある。おそらくそういう連関があるからこそおもしろい訳。


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# by zelan | 2018-02-11 09:56